高島・旭竜エコミュージアム 設立と活動内容

設立と活動内容

高島・旭竜地区の位置

岡山市の高島・旭竜地区は、旭川の西岸の田園地帯で豊かな水に恵まれ、国の天然記念物アユモドキが生息し、ホタルが飛び交う自然の豊かな地域です。また古代の遺跡もあり、歴史文化も多くみられる地区です。市街地から近く環境が良いことから、最近は住宅地として発展しています。(高島・旭竜地区の地図

この地区は、1992年に岡山市により「ホタルの里」に指定され、ホタルの保護活動が行われてきました。1995年から1996年には地域の住民などによる「高島・旭竜の身近な環境を考える懇談会」での検討を経て岡山市エコミュージアム基本計画が策定されました。

高島・旭竜エコミュージアムの活動は、このような地域の自然や環境に対する関心の高まりを背景にして始まりました。

  1. エコミュージアムとは
  2. 公民館講座と立ち上げ時期 - 活動おこしのはじまり
  3. エコミュージアムを語る会の発足 - メンバー発掘とグループ化
  4. 里山の秘密を調べよう - メンバーの主体的活動の開始
  5. メーリングリストの開始 - 情報交流基盤の整備
  6. ホームページの開始 - 広域的な情報発信機能の獲得
  7. ジャコウアゲハとウマノスズクサ - 学びから行動へのきっかけ
  8. ホタルまつりに参加開始 - 地域とのつながりの強化
  9. 大エノキ伐採 - 地域課題への協働の取り組み
  10. 活動助成金 - 経済的自立へ向けた第一歩
  11. 学校教育への協力 - 学校からの信頼と期待
  12. 賞田の淡水魚保護宣言 - エコミュージアム活動で地域も変わった
  13. 座談会 - 高島・旭竜エコミュージアムの4年をふりかえって

1. エコミュージアムとは

「エコミュージアム」とは1970年代にフランスで提唱された考え方であり、一般的には「地域の有形・無形の環境資源を行政と住民が一体となって、その場で保存、育成、展示することを通じて、地域社会の発展に貢献すること」とされています。これを、岡山市では環境基本計画(1998年3月策定)のなかで次のように捉えています。

「おかやまエコミュージアム(地域まるごと博物館)」は、住民と行政が協力しながら地域の循環型・共生型の暮らしを育て、有形・無形の環境資源を現地で守り・活用することにより、環境にやさしい暮らしと良好な環境資源があたかも博物館の展示品のようにちりばめられた地域となることを目指すものです。このエコミュージアム(地域まるごと博物館)づくりの推進により、地域の人々にとって真に住みよい良好な環境になっていくとともに、地域外の人々にとっても魅力的で個性的な地域となっていくことが期待できます。

このエコミュージアムは、地域の人々が、コミュニティを大切にしながら、地域の環境を活かしたまちづくりをしていく活動ということができます。

2. 公民館講座と立ち上げ時期 - 活動おこしのはじまり

高島・旭竜地区での活動は、岡山市立高島公民館を中心として始まりました。公民館の主催講座の一つとして、地域を知り考える「高島・旭竜エコミュージアム講座 - わくわくふるさと探検隊」を立ち上げました。

1997年5月の第1回には、地域で行われているホタル祭にあわせて「高島・旭竜のまちのナゾをさぐれ」というテーマで地域の自然や歴史に関係するポイントを回るウォークラリーを開催しました。約80人の親子が参加し、今まで知らなかった地域のおもしろさを発見できたと好評でした。地域を知るというきっかけづくりになったと考えます。

第2回には、地域の自然のシンボルであるアユモドキをとりあげた「アユモドキのナゾをさぐれ」を開催。公民館でのアユモドキについてのお話と、保護水田へ出掛けての観察会を行いました。小学校での呼びかけの効果もあって、地元の親子が34名参加し、地域の資源の発見ができました。この講座は、ただ知るだけでなく保護活動への参加という側面もあり、エコミュージアム活動の理解につながったと考えます。

これ以降、8月は水辺の遊び、10月には里山の探検、12月は森林公園と自然を中心とする催しを行い、地域住民の参加と関心を徐々に広げていくことができました。

3. エコミュージアムを語る会の発足 - メンバー発掘とグループ化

公民館講座へ参加してきた人と顔見知りになって話しているうちに、親子向けの講座も良いけれど、大人向けの少し深い学びや話のできる講座も欲しいという声が出てきました。

公民館講座のねらいのひとつを地域の仲間づくりに置いていたので、さっそくこの動きを具体化しました。1997年7月の土曜の夜に「高島・旭竜エコミュージアムを語る会」と題した集まりを開き、活動展開のヒントや類似活動事例のレクチャーの後、環境まちづくりについて話し合いました。

地域からは6人の参加があり、同じ地域に住んでいて顔を合わせたこともない人も多かったのですが、ホタルやアユモドキの催しを通じて集まった人だけに環境づくりについて熱心に意見を交換しました。そのなかで、公民館講座の内容や進め方への意見、この集まりをお話だけでなく行動に広げていくものにしたいという意見が出ました。

これ以降、「語る会」のメンバーが催しの企画や運営を手伝い初め、やがて活動の中核となっていきました。

1年目(1997年)は、高島公民館講座としてイベント等を実施するとともに、岡山市環境保全課(現環境調整課)職員とまちづくりコンサルタントの全面的バックアップ(経費負担を含む)のもと、イベントの企画・実施、メンバー堀起こしと組織づくり等を行いました。

2年目は、1年目と同様の体制でのサポートを受けましたが、高島・旭竜エコミュージアムのメンバーが主体的に取り組むようになり、コンサルタントの役割はかなり小さなものになりました。

3年目以降も、活動の受け皿としての公民館体制は変わりません。岡山市環境保全課も継続的に関わっていますが、支援というよりも高島・旭竜エコミュージアムと協働で役割分担をしながら催し等を実施しているという形になっています。岡山市の支援内容は情報提供や機器等の物品提供が主です。

メンバーは増え、出入りもありますが、現在に至るまで毎月1回の会合はずっと継続しています。活動への受動的な参加から能動的な参加へと変わったのが「語る会」の発足です。

4. 里山の秘密を調べよう - メンバーの主体的活動の開始

エコミュージアムの活動を始め、地域の親子、大人を対象とする講座を何回か行っていくうちに、企画・運営を通じてメンバーが主体的に関わるという流れができてきました。

1997年11月に行われた「里山のひみつをしらべてみよう」は、地域北部の山麓に広がる里山を舞台に、里山の植物や動物を発見したり、古墳跡やイノシシよけの石垣跡など昔の人が知恵を絞って生活をした痕跡を訪ねて歩く催しでした。「てくてくロードウォーキング」は、地域の社会福祉協議会主催の、健康づくりと地域の歴史・自然探訪を兼ねた催しでした。多くの参加者あり、自然・歴史・文化と地域の魅力をまるごと持つ里山を満喫できる一日になりました。

これまでの催しは、公民館職員と岡山市職員およびコンサルタントが中心となって行っていましたが、この催しは、初めて地域メンバーが企画、準備から運営までを行った事業です。公民館講座の立ち上げから、高島・旭竜エコミュージアムでの人的ネットワークづくりを経て、メンバーの思いと行動力が結実したものです。

メンバーの関心のあることやりたいことを、楽しく多くの人が集まるように知恵を絞りながら、地域の色々な人、公民館や行政の協力を得ながら、自分たちで行うというやり方は、多少形を変えつつもエコミュージアム活動の基本として現在まで引き継がれています。

5. メーリングリストの開始 - 情報交流基盤の整備

仲間が増え活動が動き始めてきて、それまでは公民館や岡山市で決めていたことから、色々と物事を相談したり情報交換をする必要性が高まってきました。電話や公民館に掲示をするという手段を使っていましたが、沢山のメンバー間での情報伝達には時間がかかっていました。

そんな中、1997年11月に、メンバーの一人が個人的に高島・旭竜エコミュージアムのメーリングリストを立ち上げました。全員が電子メールを使えるわけではないという難点はあるものの、瞬時に双方向の情報交換ができるというメリットはとても大きく、その後の活動を発展させる要因になりました。

例えば、後述する大エノキの問題が起こったときにも、メーリングリスト上で対応策を協議し、すぐに具体的な行動に結びついていきました。みんなが顔を合わせてから初めて話し合いが始まるという形態なら、そう早い対応はできなかったでしょう。

メーリングリストのスタートは、メンバー間のコミュニケーションだけでなく、活動の質も速度も高めていく武器となったのです。

6. ホームページの開始 - 広域的な情報発信機能の獲得

メーリングリストは、メンバー間の情報交換に強力な手段となりました。メンバー外への情報発信手段としては、「高島公民館だより」、「エコミュージアムニュース」、時々のビラ、高島公民館掲示などを活用してきました。

一方で、もっと多くの人に活動や地域の素晴らしさを知ってほしいという欲求も高まり、1998年1月にメンバーの個人的ページとして高島・旭竜エコミュージアムホームページを試験的に開設しました。

ホームページでは、エコミュージアム活動の概要、毎回の活動の報告、地域資源の紹介などの情報発信を行っています。全国に情報発信することができるとともに、写真や絵などを自由に使えるというメリットもあります。

2002年7月にホームページを全面改定し、1999年12月に開設された高島公民館のホームページとの連携を強化しました。現在では、いつでもだれでも見ることができる情報源として重要な役割を果たしています。
(注)2014年7月に岡山市の公民館のホームページが市役所の共通デザインに移行したため、現在はエコミュージアムのページはありません。

7. ジャコウアゲハとウマノスズクサ - 学びから行動へのきっかけ

ジャコウアゲハはオスがジャコウジカのような臭いを出すことから名付けられた美しい蝶ですが、この蝶の食草で川の土手や田んぼの畦に育つウマノスズクサが草刈りによって減少していることから、あまり見られなくなっています。

高島地域にはかつては多くのジャコウアゲハが見られたという、一人の高島・旭竜エコミュージアムメンバーの発言をきっかけに、1997年8月から始めたのがウマノスズクサの保護・増殖の活動です。

ジャコウアゲハの生態勉強やウマノスズクサの探索活動を行い、繁殖地を見つけたのですが、建設省の河川管理により毎年草刈りが行われる場所だったのです。そこで、草刈り時期や方法について河川事務所と交渉をして協力を得るとともに、高島・旭竜エコミュージアムで一部の管理を行うことになりました。

この活動には2つの意味がありました。1つは、地域環境を知る・楽しむことから、環境を守りよりよいものに育てていくというフェーズに進んだ点です。学習会や探検などを通じて、地域環境から様ざまな恵みを受け取ることから、積極的に環境を守ったり回復させていく活動へアプローチをすることに変わったという意味で、大きな転換点となりました。

もう1つは、そのプロセスで、対象となる土地の管理者である建設省と協議し協力関係を構築することができた点です。外部の主体と環境づくりのパートナーシップができあがった重要な活動となりました。

8. ホタルまつりに参加開始 - 地域とのつながりの強化

1998年5月、高島・旭竜地域のホタルまつりへ初参加しました。前年もこのまつりの時期にあわせて、催しを行いましたが、今回はテントを借りて正式出展し、ホタル調査の結果やホタルの幼虫の展示、ホタルの群舞を鑑賞するツアーなどを行いました。

これは、高島・旭竜エコミュージアムだけの活動から地域の既存活動へ係わっていった初めての機会です。その後、学校行事や地域の環境管理活動へ参加していくのですが、そのきっかけとなったものでした。

また、もともと後楽園用水のホタルを守ろうという趣旨で始まったホタルまつりが、地域で楽しむことが中心の祭へと変わってきていたのですが、高島・旭竜エコミュージアムの参加によるホタルや水辺の生物に目を向けた展示、ホタル鑑賞の実施などによって、まつりの本来の姿を思い出させるという地域への影響力も発揮したと考えられます。

9. 大エノキ伐採 - 地域課題への協働の取り組み

1998年8月に祇園の旭川堤防上にあった大エノキの大枝が折れたことから、この木の伐採が緊急の課題となりました。大エノキは遠くからも良く目立ち、地域のシンボルとして昔から住民に親しまれていたもので、保存の声が高まりました。

この動きに対して、高島・旭竜エコミュージアムのメンバーは迅速に行動し、地域の関係者と協力しながらエノキの伐採を最小限度にし何とか生かしていくことを実現させました。さらに伐採後は「よみがえれ大エノキの会」を地域住民と共に結成し、エノキの回復へ向けた処置、エノキの思い出を集めて冊子化、エノキをテーマとしたイベント開催などを中心的に行いました。

この取り組みによって、姿は変わったものの、エノキが生き残り、またエノキの思い出が地域の人々の間で蘇るという、土地の記憶を呼び覚ますことに結びつきました。

大エノキにまつわる一連の活動は、建設省とのパートナーシップはあったが地域内では高島・旭竜エコミュージアムのメンバーだけだったウマノスズクサの場合とは違い、地域全体の多くの人々と共に、かつその中核で引っ張っていくというものであり、高島・旭竜エコミュージアムが地域に知られ、認められることになったのです。

ただし、高島・旭竜エコミュージアムは常に独立した存在であり、取り組みに応じて様々な相手と自由にパートナーシップを組むというところに特徴があります。

10. 活動助成金 - 経済的自立へ向けた第一歩

大エノキの活動を推進していく上で、エノキの保存・再生や冊子作成等に経費の必要性が生じてきました。地域住民への募金も行いましたが、まとまった資金の確保のために、「おかやま街いきいき活動支援事業」(岡山市地域振興課)に応募し、採択を受けました。

応募の主体は高島・旭竜エコミュージアムではなく、高島・旭竜エコミュージアムのメンバーも加わった地域の自主的な団体として「よみがえれ!大エノキの会」を結成し、幅広い地域住民とのネットワークを形成しました。

岡山市の支援により始まった高島・旭竜エコミュージアムの活動は、資金面でも行政的な手当が行われていましたが、大エノキに係わる活動助成金を受けるということで、経済面での新たな活動運営の方法を得たことになります。地域での活動を持続的に進めていくためには何らかの活動資金が必要となり、その一歩を踏み出すことになったといえます。

その後1999年5月には「タカラファンド活動助成」を、2000年6月には、再度「おかやま街いきいき活動支援事業」を受けています。

11. 学校教育への協力 - 学校からの信頼と期待

そもそも高島・旭竜地域でのエコミュージアム活動の始まりは、こどもたちをメインターゲットに、地域の自然や文化や生活の素晴らしさを知り体験してもらい、豊かな心を育てるとともに、環境を大切にしたまちづくりや環境づくりに参加できるようになってほしいという思いがありました。

高島・旭竜エコミュージアムの色々なイベントや調査・研究を通じて、こども、親、学校との接点が大きく、特に学校にはイベントのPRをお願いするなどの協力を仰いできました。

一方、高島・旭竜エコミュージアム側にも活動を通じて、さまざまな得意技を持つメンバー、こどもに喜んでもらえる活動のノウハウ、地域内外のすてきなフィールドなどについての情報が蓄積されてきました。

1999年2月には、高島幼稚園に倒木の柳を寄贈し、園児達に楽しんでもらう機会を得ました。その後、高島幼稚園の公開保育へ参加し アユモドキの紙芝居をしたり、高島小学校総合学習の講師として教えるなど、学校外の先生として、学校教育へ協力する機会が増えています。

総合学習の本格的な開始を控え、文字通り「地域まるごと博物館」として地域の自然からくらしまでを丸ごと捉えようとしている高島・旭竜エコミュージアムの活動は、重要な役割を果たしていくものと考えられます。

12. 賞田の淡水魚保護宣言 - エコミュージアム活動で地域も変わった

賞田の水路は高島地域の真ん中を流れる清冽な流れです。この水路と周辺の水田には天然記念物アユモドキを初めとする魚が多く生息していることが知られています。アユモドキはエコミュージアム活動のシンボルでもあり、早くから取り組みの対象として意識してきました。

水質汚染のみならず、水路のコンクリート化で産卵場である水田への出入りが困難になることが減少の原因になっており、エコミュージアム活動が始まる以前から休耕田を借りて増殖池が作られ、調査および保護活動がおこなわれていました。また、農業従事者の減少・高齢化による水路維持作業の負担増加が、水路改修の要因にもなっていました。

高島・旭竜エコミュージアムではアユモドキの観察などの勉強を重ねるとともに、清掃の問題については、意見を言うだけではなく清掃の大変さを少しでも担う必要があると、1998年5月から清掃活動に参加してきました。その中から交流が生まれ、高島・旭竜エコミュージアムのメンバーが農業者の苦労を知り、農業者にはアユモドキの価値についての理解が広がってきました。また、地域の方が自分たちの管理している水路の淡水魚に愛着を持ち、マニアや業者による捕獲とそれによる淡水魚の減少を憂慮していることが分かりました。

やがて賞田町内会で高島・旭竜エコミュージアムの協力により行われた2回のアユモドキ学習会を経て、2000年7月には地域あげてのアユモドキシンポジウムが開催され、「淡水魚保護宣言」が採択されました。

この取り組みは、地域の人と連携していますが一過性であった大エノキの取り組みから一歩進んだものです。日常的な生活活動を分かち合うなかで地域の人との相互理解が深まり、そこからさらに新しい取り組み、生活行動の変革が生み出されたという、非常に意義深いものであったと考えます。

13. 座談会 - 高島・旭竜エコミュージアムの4年をふりかえって

2001年3月、高島・旭竜エコミュージアムの活動を振り返る座談会を開きました。

座談会のページ

inserted by FC2 system